巌流島の戦い
廣木です。
本日4月13日は宮本武蔵と佐々木小次郎が、瀬戸内海に位置する島・巌流島で決闘を行った日、あの有名な「巌流島の戦い」の日です。
そもそも二人が戦った島の当時の名前は、「船島」という名前でした。
それが二人の決闘が行われた後、佐々木小次郎が『巌流』という剣術の流派を名乗っていたことから「巌流島」と呼ばれるようになったそうです。
ここで一つ疑問に思うことはありませんか?
巌流島の戦いで勝ったのは宮本武蔵のほうなのですが、島の名前は佐々木小次郎に由来して呼ばれるようになっているのです。
よく知られている巌流島の戦いは、武蔵が約束の時間に遅れて参上し、船のオールを削って作った木刀で小次郎を倒した、というお話です。
ところがこのお話は史実ではなく、元は吉川英治先生の「宮本武蔵」という小説で、武蔵が遅刻してきたという内容で描かれ、この小説が大ヒットして有名になったことで、これが通説となってしまったそうです。
しかも、武蔵は遅刻をしていないどころか一人で島に渡ったのではなく、数名の弟子たちも密かに島へ渡っていたそうです。
それを知った地元の方たちは、小次郎へ島に渡ることを止めましたが、「一対一で戦うと約束をしたからには、一人で行かなければ恥となる」として、小次郎は単身で島へ渡ったそうです。
結果小次郎は敗れてしまうのですが、その姿勢に感心した地元の方たちは、決闘の後、小次郎の流派の名前「巌流」からとって、島の名前を「巌流島」と呼ぶようになったそうです。
この巌流島の戦いについては様々な説があるため、どれが本当のことなのかは定かではありません。
この戦い自体、様々な陰謀があったとも言われていますので、気になった方は調べてみてください。